ベトちゃんドクちゃんの現在|奇跡の手術から38年、ドクさんの今
1988年、世界中が見守るなかで行われた結合双生児の分離手術から長い年月が流れました。ベトナム戦争で散布された枯葉剤の被害を象徴する存在として、日本でも広く知られる「ベトちゃんドクちゃん」。幼い二人が見せた懸命な笑顔と、17時間に及ぶ大手術のニュース映像は、今なお多くの人々の記憶に刻まれています。
あれから星霜を経て、40代半ばを迎えた弟グエン・ドクさんはどのような日々を送っているのでしょうか。兄ベトさんの旅立ち、自らの結婚と双子の子どもの誕生、そして直面する健康問題や現在の仕事まで、日本との絆とともに歩み続けるその真実の姿を追いました。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:兄ベトさんは重い後遺症と闘い2007年に26歳で逝去。弟ドクさんは今年45歳を迎え、家庭を支えながら精力的な活動を継続している。
- 要点2:2006年に結婚した妻テュエンさんとの間に誕生した双子(富士山と桜にちなんだ命名)は高校生へと成長し、父親を支える存在に。
- 要点3:片方の腎臓や義足での生活に伴う深刻な健康不安や経済的課題を抱えつつも、平和親善大使や講演活動などを通じて日越の架け橋として前進している。
【奇跡の生還】ベトちゃんドクちゃんの経歴と枯葉剤がもたらした過酷な運命
二人の物語は、ベトナム戦争の爪痕が色濃く残る1981年2月25日、中部高原のコントゥム省で始まりました。兄のグエン・ベト(Nguyen Viet)さんと弟のグエン・ドク(Nguyen Duc)さんは、下半身が結合した状態で産声をあげます。米軍が散布した枯葉剤に含まれる高濃度のダイオキシン類が原因とされ、戦争の悲惨さを無言で告発する象徴として国際社会に大きな衝撃を与えました。
誕生直後から貧困と過酷な医療環境にさらされた二人は、やがてホーチミン市にあるツーズー病院へ移送されます。1985年には兄ベトさんが急性脳症を発症して重体となり、翌1986年には治療のため日本赤十字社の招きで緊急来日を果たしました。東京の日本赤十字社医療センターでの懸命な治療により一命を取り留めたものの、ベトさんの脳には重い後遺症が残り、ベッド上で寝たきりの状態が続くことになります。
一方が重篤な状態に陥れば、もう一方の命も道連れになりかねないという極めて危険な状況下、医師団は二人の命を救う唯一の手段として、前例のない分離手術の決断を迫られることとなりました。
【1988年の記憶】世界が息をのんだ分離手術と日本支援が生んだ絆
運命の日となったのは1988年10月4日のことです。ツーズー病院で行われた分離手術には、ベトナム国内の精鋭医師団約70名が集結。さらに日本からも医師団が現地へ飛び、最先端の医療機器や輸血用血液、医薬品が届けられました。
手術は複雑を極めました。二人は骨盤、下腹部の消化器系、泌尿器系、生殖器系を共有しており、一本ずつしかない脚と共有器官をどちらにどのように配分するかという、極めて過酷な医学的・倫理的判断を伴うものだったからです。結果として、比較的健康状態の安定していた弟のドクさんに左脚や肛門などの主要器官が多く割り当てられ、兄のベトさんには人工肛門が造設されることになりました。
所要時間17時間に及んだ大手術は見事に成功。二人が切り離された瞬間は世界中で速報され、日本では号外が出るほどの関心を集めました。この手術の成功は、ベトナムの医療陣の誇りとなっただけでなく、医療機器の寄贈や募金活動を展開した多くの一般市民を含め、日本とベトナムの間に切っても切れない強い連帯感を生む原点となったのです。
【兄の旅立ち】グエン・ベトさんの死因と遺されたドクさんの誓い
分離手術後、二人の人生は大きく分かれることになりました。弟のドクさんは義足を使い、リハビリテーションを乗り越えて自立歩行を身につけていきましたが、兄のベトさんは自発的な意思疎通が叶わず、ツーズー病院内の福祉施設「平和の村」で手厚い看護を受け続ける日々を送りました。
ドクさんは学校に通いながらも、頻繁に兄のベッドを訪れては声をかけ、食事を介助し、誰よりも兄に寄り添い続けました。しかし、共有していた身体から切り離された代償と重い障害は、ベトさんの体力を徐々に奪っていきます。
そして2007年10月6日未明、ベトさんは腎不全や肺炎の併発により、26年の生涯に静かに幕を下ろしました。最愛の半身を失ったドクさんの悲しみは計り知れないものでしたが、葬儀の席で彼は「兄の分まで精一杯生き抜くことが、僕に課せられた使命」と語り、涙を拭って前を向くことを誓ったのです。
【家族の肖像】妻テュエンさんとの結婚と双子の子供(富士・桜)の現在
兄の死に先立つ2006年、ドクさんの人生に大きな転機が訪れていました。知人の紹介で出会い、深い愛情で結ばれたグエン・ティ・タイン・テュエン(Nguyen Thi Thanh Tuyen)さんとの結婚です。身体的なハンディキャップや枯葉剤の影響による遺伝的懸念を乗り越えて結ばれた二人の挙式は、ベトナム国内のみならず日本でも温かい祝福を受けました。
さらに2009年、奇跡のような喜びが訪れます。テュエンさんが男女の双子を無事に出産したのです。枯葉剤被害者の第二世代として子どもたちの健康状態が強く心配されましたが、二人は至って健康に生まれ育ちました。
ドクさんは、自分たちの命を救い支え続けてくれた日本への深い感謝と敬意を込め、長男に富士山から取った「フー・シー(Phu Si)」、長女に桜を意味する「アイン・ダオ(Anh Dao)」と名付けました。現在、子どもたちは逞しい高校生へと成長し、家庭内で足の不自由な父を労わり、荷物運びや移動を自然にサポートする心優しい青年に育っています。
【仕事と健康】ドクさんの現在の仕事・ツーズー病院退職後の活動と健康状態の真相
現在のドクさんの暮らしと活動状況はどうなっているのでしょうか。かつて長年勤めていたツーズー病院の事務・ITスタッフとしての職務からは既に離れており、現在は多様な社会的役割を担っています。
主たる活動の一つが、平和教育と日越文化交流の推進です。2017年には広島国際大学の客員教授に就任し、定期的に日本を訪れて戦争の悲惨さや命の尊さを訴える講演を行ってきました。さらに、障がい者支援や恵まれない子どもたちの教育を支援する基金の運営、自身の体験を伝えるオンライン発信など、民間の平和親善大使としての歩みを止めません。
一方、ドクさんの生活を常に脅かしているのが深刻な健康問題です。もともと単一の腎臓しか持たず、慢性的な腎機能の低下や骨盤の変形、日常的な激痛に悩まされています。40代を迎えてからは入退院を繰り返す機会が増え、医療費の負担や日々の体調維持は決して平坦なものではありません。それでも彼は、自らの弱音を表に出さず、家族のため、そして平和の尊さを世界へ語り継ぐために日々を懸命に紡いでいます。
【ベトちゃんドクちゃんの現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ドクさんは現在、日本に住んでいるのですか?
A1:いいえ、ドクさんは現在もベトナムのホーチミン市を生活の拠点にしています。ただし、講演活動や健康診断、平和交流イベントなどの機会を通じて頻繁に来日しており、日本各地の支援者と今なお密接なつながりを維持しています。
Q2:双子の子どもたちに枯葉剤の遺伝的影響はなかったのですか?
A2:幸いなことに、2009年に生まれた長男(フー・シー君)と長女(アイン・ダオさん)ともに重篤な遺伝性疾患や障害は見られず、極めて健康に成長しています。ドクさん夫妻にとって、子どもたちの健やかな成長は何よりの希望となっています。
Q3:ドクさんの生活に対する日本からの支援は今も続いていますか?
A3:はい、公式な政府開発援助(ODA)だけでなく、民間の友好団体、長年ドクさんを見守ってきた医療関係者、個人有志による温かいサポートが続いています。健康悪化に伴う治療費の支援や、ドクさんが主導する平和基金への寄付など、草の根の支援ネットワークが彼を支えています。
まとめ:次世代へと受け継がれる平和への祈りと日越の絆
ベトナム戦争の悲劇から生まれ、世界の英知と優しさによって切り拓かれたベトちゃんドクちゃんの人生。兄ベトさんの旅立ちから時が経ち、弟ドクさんは今、一家の大黒柱として、そして自ら生きるメッセージとして厳しい現実と向き合い続けています。
加齢に伴う身体の痛みや生活の苦難に直面しながらも、彼が浮かべる笑顔には、かつて世界を勇気づけた強さと感謝の心が宿っています。「生きている限り、平和の大切さを伝えたい」という彼の確固たる意志は、日本とベトナムが紡いできた友情の証として、子どもたちの世代、そして未来へと確かに受け継がれていくはずです。 (出典: ベト ちゃん ドク ちゃん 現在(Yahoo!ニュース))